赤穂浪士の赤穂城
【はじめに】
6月19日の「シン爺の雑記帳/2023年 夏」にも記入したが、赤穂城訪問記は「ノート」にアップしてみた。
2週間ほど経ったが「スキ♡」を9つもいただいて、びっくりである。
私としては上出来である。
とはいえ、こちらのブログに赤穂城の記事をアップしないのも片手落ちである。
若干重複するが、記事としてアップしようと思う。
よろしければお付き合いいただきたい。
私たちが今回の兵庫旅行ではじめに訪れることにしたのが「赤穂城」である。
このお城は忠臣蔵で有名な赤穂藩の居城であった。
松の廊下の刃傷事件のあと、明け渡した有名な城である。
忠臣蔵については、諸説あって、本当のところはわからない。
主君のかたき討ちを成し遂げた、ということ一点に絞れば、忠義の義士たちであったのであろう。
特にリーダーの大石内蔵助は(私が思うに)冷徹なまでに優れたプロジェクトリーダーであったのだと思う。
順に記述していくつもりである。 いつものようにお見苦しいが、ご容赦いただきたい。
【本文・写真】
自宅を朝4時少し前に出発し、赤穂城に到着したのは8時半であった。 朝4時というのは、高速道路料金を割り引きで利用しようと思ったからである。 しかし残念ながらミセスシン爺が身支度に手間取って家を出るのが遅くなり、ETCゲートを通過したのは4時5分であった。
結果的に割り引きにはならなかった。残念、、、。
「あんまり早く、早く、と言わないでよ」とミセスシン爺。 ケンカ勃発か? と思ったが、たかだか2,000円程度。 そんなことでこの旅のウキウキ感が台無しになってはもったいない。 そこはぐっと我慢のシン爺であった。 でも無口になってしまい、怒っているのが伝わったのか小声で「ごめん」と言われた。 こちらも、いかんいかんと反省。 夫婦円満は微妙なバランスに成り立っているのであった。
まあ、負け惜しみかもしれないが、違反したり、事故を起こしてしまうより百万倍いい。
これからはもっと余裕をもって4時前にETCゲートを通過しようと思う。
【さいごに】
10年ほど前に、出張のついでに写真ー1の大石神社には訪れたことがあったが、残念ながら会社の上役とともに来ていたため、あまりゆっくり回ることができなかった。
今回は、夫婦旅。 じっくりゆっくり回ることができた。
ふだんはあまり仲がいいとはいいがたいが、こういう時は共通の趣味ということで、あちこち回りながら眺めを楽しんだり、写真を撮ったりして、十分に堪能した。
美しく手入れがなされており、本丸御殿については、それぞれの場所に間取り書きされており、のこの場所で、松の廊下の事件や赤穂城の引き渡しなど、大きな事件の対応策や会合などなされていたのかなあと思うと、感慨深いものがある。
いずれ私の目線での「プロジェクトとしての忠臣蔵」を記してみたいなどと思うシン爺であった。