福井ドライブ旅行

2023年2月21日

【はじめに】
2月のはじめ、1泊2日で福井まで旅行をした。
例によって夫婦ドライブ旅行である。
出発の前々日にプチ夫婦げんかをした。 定年後についてである。 楽観的なシン爺と、現実的(悲観的)な妻とがちょっとぶつかった。 なんとか収めることができて、無事出発となった。
どう収めたかを少しだけ説明すると、前日の会話である。以下、
シン爺「防水スプレーはどの靴にやっておけばいい?」と、無視されるのを覚悟で何事もなかったかのように聞いてみた。 
妻「×〇の靴と、このあいだ買った××のブーツ」と、応じてくれた。 なんとか会話の糸口を作ったのが良かったようだ。 ホーキンスの防水スプレー様様(さまさま)である。
この時期、列島には連続して寒波が来ていた。 履いているスタッドレスだけで大丈夫か少し心配であった。 タイヤサイズを確認して、ネットでチェーンを探していたが、3万以上という価格の高さに断念した。 
天気予報を見ると、我々が行く日は比較的暖かいとなっている。 まあ、運次第である。 
とまあ、ここまで書いたが、もうすでに帰ってきているため、結論を言うと、、、まったくチェーンは必要なかった。 むしろ青空が広がっており、普通タイヤでも、問題なく走れるような道であった。 自分自身の運の良さにびっくりするとともに、雪かきをしていただいた方々に感謝である。
写真を見ていただければわかる通り、道の両サイドは雪がかなり積もっており、数日前はけっこう降ったと思える。
今回は運が良かっただけ。 春先に来シーズン向けにチェーンをお値打ちに入手しておこうと決心した。 あ、でもその前に夏タイヤも交換しないとダメか、、、 悩めるシン爺である。


【スケジュール】
1日目
■  6:45 豊田南IC
■11:00 一乗谷あさくら水の駅 写真ー2
■12:00 一乗谷城 写真ー3~9
■13:30 昼食(一乗谷レストラント) 写真ー10、11
■14:40 越前大野城 写真ー12
■14:40 宿(三国観光ホテル)到着 写真ー13~15
■18:30 夕食 写真ー16~18
2日目
■  7:20 朝食 写真ー20、21
■  9:30 チェックアウト
■11:20 永平寺 写真ー22~25
■13:50 昼食(「極(きわみ)井の上」) 写真ー26~28
■15:00 帰路へ


【本文】
1日目

写真ー1
写真ー1 福井の道/両側が雪
写真ー2
写真ー2 一乗谷あさくら水の駅/道の駅でなく、水の駅か? ホームページを見ると「道の駅 一乗谷あさくら水の駅」というらしい。 「駅」がダブっている。 水車が雪にマッチしている。 つい写真を撮りたくなる
写真ー3
写真ー3 一乗谷城/唐門。 朝倉館跡 入口
写真ーおまけ
写真ー4 唐門の家紋/朝倉家の家紋と奥が豊臣家の家紋(朝倉義景を弔うため秀吉が建てたと伝わっている) 

御覧の通り、2つの家紋が入っている。 ネットによるとこの唐門は江戸中期に再建されたものとのこと。ただ、江戸徳川時代に豊臣の家紋を出して大丈夫だったんだろうかと、ちょっと不思議に思った。 だから裏側の目立たないところなのだろうか、、、


写真ー4
写真ー5 一乗谷川。 自然のままに保たれている。 この風情がこの城下町の雰囲気に合っている
写真ー5
写真ー6 一乗谷城復原街並

自宅に戻って、司馬遼太郎の『国盗り物語』に出てきた一乗谷城のくだりを久しぶりに見てみた。 明智光秀が朝倉家に仕官のため一乗谷に向かって行く道中、旅慣れた中年の一乗谷出身のものに土地の様子を聞いたときの記載である。 以下、
「一里ばかりの細長い谷で、その谷に1本だけの公道がついている。その公道の左右に町がながながと伸びており、防衛としては、公道の前後をおさえるだけで町は難攻不落のものとなる。」「そんな地形を選んだ・・・中略・・・中興の祖敏景とは天才的な人物だったのであろう 」

などとあって、こうして一乗谷の写真を見ながらブログを記載しているシン爺はわくわくしてしまった。

写真ー6
写真-7 朝倉義景公墓所
写真ー7
写真ー8 米津/いろいろな館があった。 金属などの加工をしていたとか
写真ー8
写真ー9 屋形橋
写真ー9
写真ー10 一乗谷レストラント/外観
写真ー10
写真ー11 一乗谷レストラント昼食/ざるうどん。 蕎麦は売り切れていた
写真ー11
写真ー12 雲海で有名な越前大野城/冬季閉鎖中。 雪のため駐車場から上へは登れなかった
写真ー12
写真13 三国観光ホテル ロビー/独眼竜政宗??
写真ー14
写真ー14 客室/566号室。 何と特別室にアップグレードしていただいた。 広い!
写真ー13
写真ー15 ホテル部屋からの眺め/夕焼けが美しい
写真ー15
写真ー16 夕食
写真ー16
写真ー17 あわび/2切れ目のバターは(バター食べられないと言って)妻が入れた
写真ー17 日本酒飲み比べ
写真ー18 日本酒飲み比べ/二人でシェア。 妻は「梵・ゴールド」が好みだと言う。 確かにすっきりして飲みやすかった。 シン爺は辛口が好みであるので「越の鷹」。 ちょっと楽しい企画

2日目

写真ー19 
写真ー19 午前7時4分 日の出

 

写真ー20
写真-20 朝食/ブッフェバイキングスタイル

 

写真ー21
写真ー21 朝食/バイキング。おかわりは地元食で

 

写真ー22
写真ー22 永平寺1
写真ー23
写真ー23 永平寺2
写真ー24
写真ー24 永平寺3
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写真ー25 永平寺4
写真ー26
写真ー26 永平寺そば/蕎麦は十割蕎麦。 はじめは塩をかけて食べる。うまい。 薬味の辛み大根で食べる。ピリッと辛い。 蕎麦との相性がいい。とてもうまい。 。   
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写真ー27 極(きわみ)井の上/お蕎麦屋さん
写真ー28
写真ー28 永平寺だるまぷりん
写真ー29
写真ー29 おみやげ。ひとくち羽二重餅。 いろいろな味がある。 ほんとに一口であった
写真ー30
写真ー30 走行距離 609.4km


【おわりに】

一乗谷城。 南北に細長く伸びる谷に築かれた城である。 山に囲まれた天然の要塞。 集落ごと要塞の中にあり敵から人々を守ることができる。 中興の祖 朝倉孝景(=敏景)が築いたとされる。 室町幕府における名門の朝倉家はここで栄華を誇っていたようである。 築かれて約100年後に義景の時代に信長によって焼き尽くされ、滅ぼされた。 こんなところにも栄枯盛衰があったか。 雪の城跡を巡りながら、中学生のころ見た大河ドラマ『国盗り物語』で、信長が義景の頭(こうべ)で作った盃で笑いながら家臣に酒を飲ませるシーンを思い出すシン爺であった。 明智光秀は飲むのを嫌がって、ボッコボコにされていたなあ(何と恐ろしや、、、。 戦国時代に生まれなくてよかった)。