久能山東照宮

2024年1月31日

【はじめに】
2023年12月29日。 熱海旅行にあわせて往路で久能山の東照宮を訪れた。
徳川家康の遺言により、家康がはじめに葬られた神社である。 ここで「神の君」になった。

12月の末なのに、ここは暖かい。 そして光がまぶしい。 家康はこの暖かさと、海沿いの光のまぶしいところに葬られるのを望んだのであろうか。 標高はやや高め。 神の君なら当然か。 みごとな着眼である。

静岡インターを出て海岸沿いを走る。 こんなところに大きな神社があるのかと、不思議に思いながら、ナビに従う。 15分ほどすると「石垣イチゴ」の看板が見えてくる。 そういえば中学の社会の期末試験で石垣イチゴの問題が出たなあ、、、不正解だったけど。 少々苦い記憶がよみがえる。 いちご狩り農家を抜けると久能山東照宮の看板。 神社近くの駐車場に、係の老婦人に促されるままクルマを乗り入れる。 「東照宮はあちらですよー」指された指の方向ははるかかなた山の上方。 ーーげ、あれを登るのかーー。 と思っていると「全部で1159段ありますよ」と親切な追い打ちが。 駐車料金を払って、マイペースで登ることにした。

【写真・本文】
この日は朝7時半に出発した。 新東名 静岡県の最高時速120km区間を通って藤枝岡部ICで下りる。 さらに東名高速の静岡ICから国道を抜け、10時少し過ぎに着いた。 3時間弱。 まあまあのペースである。 こんなふうに自ら運転して夫婦で旅行できるのは、あと何年ほどか。 自動運転がもっと発達してくれればいいなあ、と思うシン爺であった。 
さて、久能山東照宮である。 青い空、まぶしい光。 温暖である。 やはり住むとしたらこんなところが良い。 となると地震の津波が心配か? どうりでこんな高いところに建立されたんだと、自分勝手に納得した。

写真ー1 久能山東照宮を見上げる
写真ー1 久能山東照宮を見上げる/はるか山の上

久能山。 よく見ると、「山」の字があり、これがここの山の名前なんだということが分かった。 WEBサイトによると、標高216mである。お参りするには少々高め。 

写真ー2 さあこれから1159段
写真ー2 さあこれから1,159段

ネットを見ると、あちらこちらに「1159段」という記載が見られる。 久能山の標高よりも階段の段数が前面に押し出ている。 家康が苦労人であったからなのだろうか。 これは他の歴史的建物では経験したことがない。 どうりで駐車場の年配の女性が「1159段ですよ」と教えてくれたわけである。 ご苦労様!

写真ー3 ようやく入口
写真ー3 ようやく入口(一之門)
写真ー4 井戸/山の上なので、水は貴重だったのであろう
写真ー5 久能山東照宮/その1

ここまで重機機械がない時代に、建築資材を運んだのが大変だったであろう。 すごいパワーである。 

写真ー6 久能山東照宮/その2

 

写真ー7 久能山東照宮/その3

 

写真ー8 久能山東照宮/逆さ葵(未完成のまま、とのこと。「及ばざるは過ぎたるより勝れり」という家康の考え方が徹底している。 なかなか学べる)

 

写真ー9 久能山東照宮より太平洋を望む


【さいごに】
家康が亡くなってから1年の間、葬られていたとされる久能山東照宮。 全国には日光東照宮をはじめ、いくつか東照宮があるようだが、にわか家康ファンの私としてはどうしても行っておかねばならない聖地であった。 ようやく念願のひとつがかなった。  1年ほど前、鎌倉を訪れたとき、源頼朝の墓を見にも行ったが、雲泥の差である。 幕府を開設した立場は同じであるというのに、扱われ方の差が激しい。 慕われ方が違っていたのか、権力の差なのであろうか、終活(?)がうまかったからであろうか。
もちろん博物館にも寄って家康が今川義元に贈られたとされる金の具足(金佗美具足/きんだみぐそく)を見てきた。 こちらは残念ながら撮影禁止であるため、記事内でのアップはできない。 ぜひ博物館に寄られて直接見ていただくことを望む。